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2006年11月24日 (金)

第6章 道しるべ 05

             8605. エージェント・モデル

1. 【用語解説】 エージェント・モデル(agent-based models)

ある系(システム) を構成する要素(エージェント) に行動特性を与え,それらが互いに相互作用するなかで,系全休がどのように振る舞うかをコンピュータでシミュレーションすることにより,現実世界へのインプリケーション(示唆) を得ようとする考えに基づいたモデル。

もともと物理学や生物学などの自然科学での研究からスタートしたが,近年では経済学・経営学での応用に注目が集まっている。経済学や経営学においては,モデルのエージェント(要素)は,個人や企業となる場合が多い。

エージェント・モデルでは,当然ながら,モデルの設計,すなわち各エージェントにどのような行動特性を持たせるかが,現実世界に対するインプリケーションの説得性に大きく影響する。特に,仮想空間のエージェントが,過去の経験からどのように行動を変化させていくか,すなわち,どのように学習を積んでいくかを,いかに的確に設計するかが鍵となり,今,さかんに研究が進められている。

2. 現実世界に対する様々な知見を戦略に反映させる

現代は,予想もしないことが次々と起こる不確実性の時代である。その最も大きな要因の一つとして,輸送技術,あるいは情報技術の発展により,世の中のありとあらゆる要素が,複雑に関係を持ち始めたという事実が挙げられる。

たとえば江戸時代には,ヨーロッパの商品相場の暴落は,わが国の地方の藩の人々の暮らしに何の影響も与えなかった。しかし現代では,地球の反対側にある国の経済状態が,世界中の株価や為替に思いもかけないインパクトを与え,それがまた各国の経済状態に大きな影響を及ぼす。

■こうした一見混沌とした状況下において,企業そしてそこで働くマネジャーの意思決定がどのように変わるべきか,その知見を与えようというのが複雑系の研究であり,その有効なツールが「エージェント」の考え方に基づいた『コンピュータ・シミュレーション技術』である。

★ [Would be Worlds: How Simulation is Changing the Frontiers of Science];
    John L., Casti    New York John Wiley & Sons, 1997

著者のジョン・カステイは,ウィーン工科大学の教授であると同時に,複雑系の研究で有名な,アメリカのサンタフェ研究所のメンバーでもある。

著者は,現実世界(フットボールの試合,道路交通網,分子生物学,天気予報,株式市場の動向など)を模したさまざまなモデルを,コンピュータ上に構築し,シミュレーションを行うことで "Would be Worlds"を描き出す。

■コンピュータ・シミュレーション技術は,あるときは問題解決のためのツールとして(交通渋滞など),またあるときは予測のためのツールとして(株価やフットボールのスコアなど),そしてまたあるときは理論構築のためのツールとして用いられる。

■エージェントとは,モデルの各構成要素(社会現象を扱ったモデルであれば人間や企業,国家など)を指す。

そのエージェントにコンピュータ上でさまざまな行動特性を与え,モデルが全体としてどのように振る舞うかを観察することで,現実世界に対するさまざまな知見を得ようというのが根本の考え方である。この考え方自体は数十年前から提唱されていたが,最近特に注目を集めるようになった背景として,コンピュータの性能が飛躍的に向上したことによる。

■そうしたコンピュータ・シミュレーションから得られる知見は,どの程度現実世界を反映しているのか。複雑なモデルについては,まだまだ改善の余地が大きいが,簡単なモデルについては,かなりの程度まで現実世界の様子を反映していることが確認されている。

たとえば,市場における価格決定のメカニズムを考えてみよう。古典的な経済理論によれば,ある財の供給や需要に変動があれば,その取引価格は,すぐに需要供給曲線上の新しい均衡点に収束するはずであるが,現実にはそうはならない。著者は,もっと現実を反映したモデル(各個人は異なった価格選好を持ち,かつすべての情報を比較検討する時間はない)を構築してシミュレーションを行うことで,取引価格が理論上の均衡点の上下のある範囲にばらつきながら,非常に緩いスピードで収束していく様子を,ビジュアルな形で読者に訴えている。

今後は,認知科学や人類学の助けを借りながら,エージェントの行動特性をより現実社会に近づけることで,たとえば株式市場であれば,ファンダメンタルズに基づきながらもあるルールに則ったテクニカル分析によって売り買いを行うなどで,シミュレーションの中の仮想世界を,より不確実性の増した現実世界に近づける努力がなされるだろう。

3. 限りなく精度の高い意志決定を導く

エージェントに基づいたコンピュータ・シミュレーション技術の応用分野はあまりに多岐にわたるため,それが企業やマネジャーの意思決定をどう助けるのかについて一般論として語るのは難しい。しかし,その何よりの意義は,コンピュータ・シミュレーションが与えてくれる予期せぬ結果を,先入観なしに受け止め,その意味を解釈し,現実社会における事象の理解や判断に役立てることにある。

たとえば,いわゆるゲーム理論における「囚人のジレンマ」の状況下において,一方の当事者がどのように行動することが最も有利かという命題は,人間の頭の中で考えていたのでは容易に結論が出ず,現実の状況をつぶさに調査して一般則を引き出すことも難しい。コンピュータ・シミュレーションの優れた点は,こうした難問に対し,短時間に,机上のノーリスクの条件下で何らかのヒントを得られる点にある。

この間題に対しては,政治学者のロバート・アクセルロッドが,さまざまな行動特性を与えたエージェント同士を総当たり戦で競い合わせるというシミュレーションをコンピュータで繰り返すことによって,「しっぺ返し」戦略が最も有効であろうという結論を得た。すなわち,エージェントの考え方を用いたコンピュータ・シミュレーションによって,現実世界の行動パターンに非常に意味のある示唆が得られたのである。

この事例は複雑系とまでも言えないシンプルなケースであるが,もちろん複雑系に応用する場合も原理は同じである。たとえば,ある行動特性を与えた複数の乗用車のエージェントを仮想の道路網ネットワークに乗せ,渋滞していく様子をシミュレーションすることで,効果的な道路規制のやり方やバイパスづくりに役立てることが可能である。

■複雑系とは,ひとことで言えばたくさんの要素が影響しあって思いがけないことが起こる系(システム)であり,また,「全体を要素に還元して分析し,全体を知る」という要素還元法がそのまま通用しない系でもある。

要素還元法は,要素間の相互作用が小さい単純な系のうちは非常に有効だが,さまざまな要素が複雑に絡み合って構造が変化する局面では,理路整然と間違った結論を引き出すことになる。

現在のわが国の経済が置かれた状況などは,要素還元法では分析できない複雑系に近い状況であり,そうした中で要素還元法に基づいた旧態依然の分析に依存する当局が有効な打開策を打ち出せないのは,むしろ当然なのである。

■こうしたコンピュータ・シミュレーションを,実際の意思決定に生かすうえで注意すべき点は,下記の2項に要約できるだろう。

1) エージェントの行動特性が,どこまで現実世界のものに近いかを知らなくては
    ならない

一般に,モデルがシンプルなほど,「きれいな」結果を得やすい。結果のきれいさに目を奪われ,それが「現実よりも正しい,現実もこうならなくてはならない」などと本末転倒することは避けなくてはならない。

2) 我々にとって重要なのは,「一回しか起こりえない現実」 である。

シミュレーションから得られる経験則が威力を発揮するのは,何回も繰り返して行う意思決定においてである。めったに起こらず,かつ重要な意思決定とは,どこかで一線を引かなくてはならない。

                            ー 以上 ー

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